東日本大震災を仙台・宮城・福島の写真で振りかえる

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2011年5月20日金曜日

一体自分はこの人生をどう生きていきたいのか①



漠然とでもいいから、自分の歩みたい生き方を自分の心の中に描いて生きるのと、ただなんとなくその日その日の快楽とか気分の良さだけを感じて生きるのとでは、その後の人生の展開が違ってくるような気がする。



私は、高校生の時の方が活気をもっていた。将来は、農学を通して世界の環境問題とか、食糧問題とかを解決する一つの力になりたいと、漠然とだが思っていた。

実際の研究現場がどのようなものかは、もちろん知らなかったが、そういう夢を抱いていた。

大学に入学して、農学部に入ったが、二年目に食事の重要性を意識するようになった。何を食べるかが、その人の健康状態に影響するという話は妙に納得できた。

そして、何を食べるかが、環境にも影響を及ぼすことは大学でも学んだことだった。

肉を食べるためには家畜を飼育しなければならないが、家畜を育てるためには植物が必要である。

すると、植物を栽培する土地が必要になる。土地は有限であるから、だんだん足りなくなってくると、森林などを伐採して牧草などを栽培するようになる。



また、植物を家畜に食べさせて、その家畜を人間が食べるのは、植物を直接人間が食べる場合に比べて、エネルギー効率が7~10倍ほど悪い。鶏、豚、牛の順に効率が悪くなる。



話を戻すと、私は植物学や農学よりも、食育の方が重要なのではないかと思うようになり、だんだん大学での研究に気持ちが入らなくなってしまったのである。

>>つづく

自分はこの人生でどう生きていきたいのか、揺らぎ始めてきたのであった。

2011年5月14日土曜日

失恋からの復活。





3月初めの失恋から復活した。

あまりに長い間、茫然としていた。

この二ヶ月間の時間、もったいないと思うが、長い人生の中では、必要な時間だったのかもしれない。

思えば、今の段階で破局して良かった。これがもし、結婚してからだったら、もっと面倒なことになっていただろうし、離婚、賠償金などの問題などに発展したら大変なことだ。

だから、今のうちにわかれることができて、良かったのだ。ついてる!

そもそも、あまり気の合わないことの方が多かった。最初は、あまりお互いのことを知らないから、気にならなかったし、自分にないところがあっていいな、くらいに考えていたが、だんだん、話題がかみ合わなくなり、合わせようと努力するのも疲れてきてしまい、ぎくしゃくしてきてはいたのだ。

本当に相手のことを好きなら、苦にならないのだろうが、今回の場合はそうではなかった。

あまり理論的に原因を考え過ぎても仕方のないこともあると思う。

私は、感情的に動くことが多いが、自分の失敗については自分を責め過ぎるところがあり、原因を追究したがるが、はっきりとした原因を解明できないことも多いと思う。特に男女関係については。

だから、今回は、「縁が無かった」の一言で片付けよう。それでいい。それがいい。

そして、わたしは、

復活する!

そして、わたしは、地元に戻って地域のため、日本のために働きたいと思う。

2011年5月11日水曜日

挫折。無力感。政治家も私も先人の知恵を生かすべし。





 私は産経新聞を毎日購読している。



 ネットで新聞比較されている記述を見て、産経はひと癖あると書いてあったが、他のマスコミと少し違う視点なら、むしろそういう情報を見た方がバランスが良くなるのではないかと考えた。

  産経は他社よりは、民主党に厳しい論評を載せている。

 今朝の一面では、震災後一度も安全保障会議が開かれず、首相は法的根拠のない組織を20以上矢継ぎ早に設立して、指揮命令系統が混乱したことを批判している。


 また、昨年の北朝鮮による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃の際にも安保会議は開かれなかった。

 紙面を読みながら、国民一人一人ができることは小さく、国のトップの総理大臣が正しい決断しなければ、国の方向性は良い方向に向かわないのではないかと感じた。今のように総理大臣が自己の保身に走り、先人の知恵である安全保障会議を開催せず、自己の実績・演出のために新しい組織を設置しているようでは、国の方向は迷走するばかりだ。


 昨日は原発20km圏内の川内村に92人が一時帰宅した。2時間だけ。しかし、川内村は福島市や郡山市よりも放射線量が低いのだ。

 避難区域が同心円状であることは適切なのか。


 また、帰宅に際して、「自己責任で」と誓約せねばならなかったそうだ


 私は、自分には今何もできないことを実感した。私にできるのは、将来の日本のために判断力と知識を養うことだろう。


 私は震災前に、私生活で大きな挫折を体験しており、しばらくの間放心状態になり、何もやる気が出なくなった。

 現在もまだ、その影響が残っているが、いい加減克服して、自分のことを憐れむのではなく、国のため、故郷のために自分の命を使うことに専念すべきだと思う。


 挫折というのは、簡単にいえば失恋だが、ただの失恋ではなく、その人のために自分の人生設計を大きく転換して新しい生活を約一年前に始めていたのだ。私の一年間は何だったのか、頭の中が混乱して、これから何を目指して生活すればいいのか、指針を見失ってしまった。

 そもそも、女のために人生設計を変えたのが間違いだったと思う。多くの人に留められたが、まさに恋は盲目であり、私は聞く耳を持たなかった。


 忠告してくれた人たちも、最終的にはやってみなければわからないから、と私を応援してくれたが、結局、みなが憂慮した事態に陥ってしまったのだ。

 今回の教訓の一つは、他人の忠告は素直に聞いて、冷静に判断すること。


 私は、自分が正しいと思うと、周りの意見を聞かなくなるところがあった。しかし、今回の挫折を経験し、他人の意見は素直に聞かなければならないと、改心した。

 三人寄れば文殊の知恵という格言があるが、これは裏返せば、一人や二人だけでは知恵が足りない、一人や二人だけで重大な決定を下すのは危険をはらむということではないか。


 冒頭に述べた、現総理大臣が先人の用意した法的根拠のある安全保障会議を開催しないことと、私が家族はじめ人生の先輩の意見を聞かずに、自分の判断で未知の領域に飛び込んで失敗したことは、どこかつながりがある。

 先人の知恵を無視したことである。


 私は、菅直人氏の首相在任には反対であるが、さて己はどうかと言えば、他人を批判できるほど立派な人間ではない。


 まだまだ、若造、アマチャンである。


 自分が立派な人間でなければ、他人を批判してはいけないとは思わないが、他人を批判するのならば、果たして自己は如何にあるべきか、自己は向上に努めているか、自分を棚に上げて批判だけするような無責任な人間ではないか、と自問するのが筋だと思う。今にしてそう思う。


 

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